娘が赤ちゃんの頃、東京駅でリラックマのぬいぐるみを買いました。
↓4年前の写真
最初は見向きもせずに、おもちゃ箱に入れっぱなし。
こりゃ数千円したけどゴミになるかな・・・と思っていたのですが、2歳の頃にはお気に入りに昇格。毎日「リラちゃん、リラちゃん」と呼び、いまだにお出かけの時も車に乗せたりしています。
そんなリラちゃん。
この前の休日、妻と娘が一緒に遊んでいるとき、どういう経緯かは分かりませんが、「もうリラちゃんなんか嫌ーい。いらなーい。」という娘の声が聞こえてきました。と同時に、床に投げ捨てられているリラックマを発見。
物は大事にするように教えたいなと両親とも思っているので、これはよくない態度だ!と、自分も妻もアイコンタクトで娘の態度を正す方向へ。
妻「リラちゃん、嫌いって言われたら嫌な気持ちになるから、いなくなっちゃうかもよ?家出しちゃったかもしれない。ほらもういないよ?」
それを聞き、ハハーン、さてはリラックマを隠したな。と察する自分。
というのも、少し前に「くまのがっこう ジャッキーのしんゆう」という絵本を読んだのです。
そのあらすじは、
くまのこジャッキーには、大切なぬいぐるみ"チャッキー"がいる。でもある日、新しいぬいぐるみのうさぎさんが家にやってきてから、チャッキーは放ったらかしに。ついにはチャッキーはいなくなってしまって、ジャッキーは心配して探す・・・というおはなし。
ああなるほど、同じ戦法かと。ということで参戦。
父「そうだね、リラちゃんは東京のお家に帰っちゃったのかもね。新幹線に一人で乗れるかな?途中で車にぶつかっちゃったかもしれないね・・・それとも誰かにゴミだと思われて、捨てられちゃったかも・・・」
すると娘は
「リラは、ちゃんと新幹線に乗ってー、東京に着いてー、元気にやってるから大丈夫だもん・・・」とトーンダウン。
しまいには「リラちゃん、明日帰ってくるかなぁ・・・」
しめしめ。
父「娘ちゃんが謝らないと、リラちゃんは帰ってきたくないんじゃない?」
娘「え、でもここで謝っても、リラちゃんには聞こえないよ」
父「(ぐぬぬ、、そこは理論的に返すんかい)」
父「じゃあお手紙を書いたら?郵便屋さんが届けてくれるかも」
娘「・・・」
折り紙をとりだし、「りらちゃんごみんなさい」と下手な字で記入。
少し席を外していて戻ってきた妻はそれを見て、「何この手紙?りらちゃん?ゴミ?」と解読不能状態。
父「リラちゃんに、ごめんなさいって手紙を書いたんだよね。届くといいね。」
とパス。
妻は「そうなのー、じゃあ郵便だしてくるねー」と玄関に一瞬出て、すぐ帰宅(リラックマは玄関に隠してあった)。そして大根役者の妻、戻ってくるなり「あれっ?あれー?いまリラちゃんの声が玄関の方から聞こえなかったー?」
わざとらし・・・
でも娘は「えっ?」と玄関の方に走って行き、階段に座っているリラちゃんとご対面。
リラちゃん!おかえり!と喜ぶかと思いきや、なんだか静か・・・
リラを抱きしめ、目に涙を溜めている・・・
安心の涙か、感動の涙かは分かりませんが、「痛い」「寂しい」以外の感情で涙を流すのは初めてかもしれません。情緒的な心が芽生えてきたか。
リラちゃん(吹き替え:父)「東京に行ってたけど、娘ちゃんの手紙を見て、帰ってきたリラ〜」 ということで、めでたしめでたし。
・・・でも、しばらくメソメソしていました↓
そのあと、ホワイトボードに2人のニコニコ姿を描いてあげたら、再度じわーっ涙ぐんでおりました。
これで少しは、物や相手を大切にする気持ちが分かると良いですが・・・。
ちなみに娘は30分も経たない内に、
「ねーねー、何でお母さんはリラの声が聞こえたの?ぬいぐるみなのに。」とツッコんでいました。
鈍いんだか鋭いんだか。